●9 アイデンティティーが肌をピカピカにした!?Mちゃん(2)
もしもSFみたいにあなたのクローン人間を作ったとして、
そのクローンが「私はあなたです」と言ったとしても
あなたはきっと「いや、私はこの私だ」と
おっしゃるのではないでしょうか。
個として生きてきた時間を含めてのあなたは
貴方の他に誰も居ないからです。
(参考:三省堂ワードワイズウエブ:アイデンティティーについて
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/024identity.html)
確かにあなたの他にあなたは存在しません。
しかし、私達は自分の考え、感じ方、行動が自分で規定できないことがあります。
「ええっと…、私はどっちの服を着たいのかしら?こっちは地味だし…こっちは軽々しいって思われやしないかしら…?」
「▲▲占いではビジネス、▼▼占いでは教育職が向いてるっていうけど自分で決められない…」
「人は俺を男っぽいと言うけれど、つい女言葉が出そうになったりする」
上げれば切りがないでしょうけど、まるで心の中に性格違いのクローンが居るみたいな心の経験は誰でもあるものです。
この臨床はこの自己規定問題と体が関係しているという話です。
~アイデンティティー、この言葉になじみがない人もあるかと思います。
その説明のため、前書きが長くなりました。ご容赦ください。~
■ アイデンティティーって
さて、Mちゃんは大人になりました。二十二歳くらいです。
その彼女がぶらりとやって来て言うに
「自分のアイデンティティーについて明確にしたいのでワークをお願いします。」と。
アイデンティティーについてワークを行うと言うことは心理的な自己回復です。
言い換えると『本質的な自分を取り戻す』『自分に帰る』でしょうか。
現代はIDカードの時代。
このIDとは実はアイデンティティーの略。
唯一たった一人のこの私を規定するという意味で用いられています。
「私を規定する」には「私は日本人だ」というように広義では
「同一性」「個性」「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」
「特定のある人・ものであること」などの意味で用いられます。
哲学分野では、「ものがそれ自身に対して同じであって、一個のものとして存在すること」です。
心理学・社会学・人間学などでは、「人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自己を自己として確信する自我の統一を持っていること」と説明され、
「本質的自己規定」をさします。
本質と言うことは社会性よりも一人の人間としてその存在を規定する力についてです。
■ Mちゃんは何故アイデンティティーに興味を持ったのか?
これは大体察しがつくと思います。
「一体、これが自分だ!と言える私はどれなのか?」
そういう疑問を持ったのですね。
たぶん、それまで明確でなかった葛藤が仕事環境などの状況によって浮上してきたのでしょう。
葛藤が強いとその分裂したエネルギーをついつい振る舞ってしまい、他を困惑させるだけでなく自己嫌悪にも陥りがちになります。
アイデンティティーを明確にしたいということは良い意味での「我が『まま』」であり、自分について責任をとれる人間になりたいということでもあります。
■ 体というオンリーワン
以上はアイデンティティーについて一般に言われていることです。
でもこれでは大変重要な事が抜け落ちていると私は考えています。
それは『あなたも私も、身体はたった一つしかない』このことです。
私には詳細は分かりませんが免疫学では
『免疫とは唯一その人、個を特定するシステムである』という説を述べている方があります。(1)
『オンリーワン』が問われる時代なのでしょうね。
とかく個よりも全体とか他者への同化、自己滅私が尊ばれるのが日本文化です。
個を尊ぶのはまだ私達にはなじみが薄いと思われます。
全体のムードに協調的になる方が主流です。
しかし個を中心にしたらワガママな人が増えたとしたら
全体中心主義も本物ではなかったことになります。
漠とした社会評価への怖れがために個の尊厳を潰してしまい、
気づかないでそれが身体の変調に化けているケースは実際には多いです。
「身体に毒だからあまり気にしないように」という優しい気遣いのある日本文化でありながら、というよりそういう日文化だから矛盾も大きいです。
Mちゃんの家庭でもこの問題が横たわっていたのです。
彼女は前の臨床例に書いたように、小学校2年生頃に体の自力排泄能力によってアトピー性皮膚炎が改善されていました。
あの時点で私は彼女にかかっているかもしれない抑圧ストレスには関わりませんでした。
彼女のオンリーワンボディはそれがオンリーワンボディであるからこそ
自己回復、つまりアイデンティティーを確立しようと彼女を突き動かしたのかもしれません。
■ 生命の働きと個の体
アイデンティティーで大事なのは
『本当に私が感じていることとは?』
この問に対する心・言葉・身体が一致する答え、
しかもそれ以上篩(ふるい)にかけることができない感じ方です。
これを探る作業のときに自然に反応する『身体の感覚、自然の動き』は大変有効になります。
何故かというとこの体も各自個別のものでありながら何千万年か、
いやもっと彼方から連鎖して体が体を生み出してきた生命の働き、
それが「個が個であること」をサポートしようとする働きをもっているからです。
もしも個が著しく損なわれたら次に生み出される個に影響があるからでしょうか、
体の自然反応、感じ方というのは個の規定回復に役立つのです。
さて、今回は幼少時の夢を元に心身セラピーを行ったら、
脇役になってしまって出る場を失っていたエネルギーが回復し、
アイデンティティーの一部が取り戻せたという臨床例の紹介でした。
■ 内なる感覚
Mさんは幼児期に見た夢を拠り所にして作業をやってみました。
大まかな流れは、
『駅の階段下で小さな自分が上にいる誰か身内の人に置いてきぼりを食らう』というものです。
彼女がその身内の人の側に意識的に心身を同化してみると
無理無駄のない新鮮で自然な「私」が浮上してきました。
これは考えでなくあくまでも感覚です。
身体的に腑に落ちるということです。
そこで私は彼女に
「この貴方だったら家族との関わりはいかがですか?」と尋ねました。
すると彼女は
「あっ!この自分だとおじいちゃんとの付き合い方が全く楽だ!」
確かそのように叫びました。
このことで反動的に『家族間の緊張緩和を保とうとするがために抑圧されてしまったもう一人の彼女』の顔が覗かせました。
それを指摘しましたらホンの一瞬ですが彼女は顔をこわばらせました。
こういうときはもう黙っているしかない。
■ おまけ
この話にはおまけがあります。
彼女のお母様が二週間位して整体に来られたのです。
そして言うことに
「あの子、ワークをしたら肌がピカピカになっていた」と。
このようにこの臨床例から
・内面や体の感覚や夢のサインが実際にはバラバラに存在するのではないこと
・私という個人、他人との調和を同時に取り、まとまりをつけようとして目的を持っていること
これらについて多少お分かりいただけるかと思います。
元々『アトピーを治す決意に新陳代謝能力で反応した体』が
今度は『自我の心理的自己回復慾求に自発的に反応を起こしてくれた』という面白い例でした。
□ 猫の夢と人の夢
夢について私の関心点を加えておきます。
寝ている子猫がレム睡眠のとき体をヒクヒクさせるのは
獲物を捕らえる夢を見ているのだというのをテレビで実験していました。
そこでさらにです。
脳内の視覚野と行動野を電極で繋ぐと目の前にネズミが居てもそれを追わずに
夢の中の獲物に向かって飛びつく動作をするのです。
文字通り「夢中で」獲物を捕る作業を学習している。(笑)
猫がネズミを追うのは本能的な習性ではなく、
その時に応じた夢を与えられてイメトレをやっているのですね。
だからこの猫の能力向上は、猫自身が『獲物と対立』してそれを捕ることにあります。
ところがMさんの場合、
自分を置いてきぼりにした迷惑な人『対立的な立場』の側に同一化したことが
アイデンティティーの回復、個人的成長につながりました。
猫の夢とは構造が逆です。
対立と調和の違いとでも申しましょうか。
メンタルな面で彼女は他者側にあったエネルギーを
自覚的に自分に取り込み、免疫力を向上させたとも言えます。
これはたぶんですが、人の脳が動物の脳と違うことを
示唆しているのではないかと思うのです。
皆さんはどう思われますか?
また動物の子供は他の子育てを客観的には見ないのに
大人になるとちゃんと立派な巣をつくります。
人の脳と体の根底、思考ではない部分には
どのような有益な記憶が入っているのかも興味深いです。
(1) 免疫・「自己」と「非自己」の科学 著者・多田富雄 NHKBOOKS[912]